2輪車事情

 

昨年12月に車のことを書いたところ
2輪車に関しても書いてほしいというご希望があったので、
今日は2輪にまつわることを少し。

私自身は子供のころに父親の運転するバイクの後ろに乗って
ご機嫌だったのを覚えていますが、
それ以降バイクとは縁がなく、自転車に乗れるようになったのも
小学4年生とかなり遅く2輪には関心なく暮らしていたのですが、
Paoloは小さいころからサッカーが嫌いな分、
遊ぶといえば自転車、 原付、バイクと順調に成長し、
若いころにはローマでは飛ばし屋で有名だったようです。

あまりにも有名な映画「自転車泥棒」でもお分かりのように
戦後イタリアではかなりの間自転車が主な移動手段でした。

ついでながら戦後一番最初に再開したスポーツというのが
自転車のレースだったということです。
今でも日曜日には多くの人たちがサイクリングを楽しみます。

そしてまた映画ですが「ローマの休日」で、
ヘップバーン演じる王女様がヴェスパを乗り回しているところを
覚えておられると思います。
あのVespa、そしてLambrettoが今の自家用車のように
もてはやされるようになり、
家族みんなが一緒に乗ってあちこちへ出かけたといいます。
今でもナポリへ行くと時々子供を2,3人挟んでお母さんが
後ろに乗っているのを見かけることがあります。

Vespaなどのスクーター以外にも
Moto Guzzi,Benelli,Gilera,Piaggio,Mondial,Ducati,
などのバイクがあったのですが、
せいぜい125ccか250ccでスピードもなく、
なんと走るとオイルが飛び散って
バイクに乗ると汚れるのが当たり前だったということです。
 

そして60年代の終わりにHondaを皮切りに
Kawasaki、Yamahaなどの 日本製バイクがやってきて、
すぐにイタリア人のモトチクリスタ (2輪愛好家)の心を掴みました。
イタリアでそれまでに一番大型のバイクはMoto Guzziの500cc。
そこへ、Hondaの750fourというのがあらわれ、
想像を絶するスピードと 汚れないバイクということで
モトチクリスタ達を魅了してしまったのでした。

こういうことを何も調べることなく書けるのは、
Paoloという生き字引がいるからです。
彼はプロのレーサーになりたかったそうですが、
両親の理解や協力が得られず
自力でレースに参加できるようになったときには
若年寄の仲間入りをしていて、
仲間内のレースやアンティックバイクのレースなどしか
出場のチャンスはありませんでした。
そのせいでしょうか、息子が生まれたときには
三輪車よりも先に ミニバイクを買ってきたほどです。

 

さて、日本から第二波が押し寄せます。

Vespaは人気でしたがチェンジが必要なので、
女性には敬遠されていたのですが、
またまたHonda がオートマチックの
スマートなスクーターを 持ち込んだものだから
女性もスカートで気軽にスクーターに乗るようになっていきます。

そのころ男性たちの間では自家用車を持っていないとかっこ悪い
という風潮になっていたようです。
いつまでもベスパしかもっていないと貧乏人扱いされていたのですが、
近年ちょっと様子が変わって来ました。

というのも年々増え続ける車の量に
2000年以上前からの街は パンク状態です。
道路幅が狭いところへみんな路上駐車なものだから、
歩くのさえ難しい有様。

そこで中心部のほとんどは許可を受けた車以外
進入禁止になってしまいました。
これはローマだけではありません。
いえ、ローマよりもっと小さな町Firenze(フィレンツェ)
などは、かなり以前からそういう処置でした。

そこで中心部の移動にはタクシーかバス、
市電を使うことになるのですが、
バスや市電はどれだけ待たされるかわからないし、
タクシーに乗ったのはいいけれど渋滞がひどくて時間的には
歩くのと変わらないような有様。

そういう状況で仕事を持つ人たちは、
特に法廷を決まった時間に 行き来する弁護士などが、
中心部にも進入出来るバイクやスクーターに救いを求めたのです。

スクーターもかなり大型になり、ゆったりとしていて馬力もあり、
ラインも年々エレガントになり、
こうしてスクーターがまたしてもステータスシンボルに
なってしまったというわけです。

ごく最近は50ccの小型車ができて物議をかもし出しています。

ちなみに14歳になると原付の免許を取ることができます。
(50ccの車にも乗ることができる。)
この免許制は昨年制定されたもので、それまでは
無免許で乗ることができました。
そして16歳になると125ccのバイクの免許を
18歳で車の免許を取ることができます。


おそらくまだいい足りないことがあるでしょうが、
今日はこの辺で。

                  Keiko
 

 
 まだちいさな陽介は私が車に載せて移動し、 
 父親と海や山で合流したものです。


 オーヴァー30でしかも
 アンティックバイクの  レースの時


 ミニモト(ミニバイク)のコースにて


 練習の合間もやっぱり2輪?


 Paoloが子供のころから存在する
 子供用の  自動車学校。
 学科試験もあって何度か通うと
  免許を授与される。

 

 

 

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