タイトル史的な話

 

Monteriggioniという町の外観

 

方言

Dialetto

イタリアほど方言の多い国はないのではないでしょうか?

よその国を知らないのでなんともいえませんが、
人口わずか8000人のわが町の中でさえ、
山の頂上付近と中ほどの商店街とで言葉が違っているなんて驚きです。

小さな街が山のてっぺんに存在し、
それぞれ孤立状態だったのが何よりもの要因かと思われます。

イタリアは地理的に見ても南北に細長く、
北部イタリアが隣接しているのはゲルマン人たちの国。
南部はアラブ・アフリカ諸国、
そして細いアドリア海は
かなり幼稚な航海術でも渡りきることが出来るので
ギリシャや中近東のほうからもたどり着くことが出来たのです。

ですから、いろんな国からやってきた人たちが
それぞれ立地条件のいいところ、
海辺で前は海に守られ、後ろは山で囲まれているか、
そうでなければ見晴らしがよくて外敵の侵入をいち早く知ることが出来、
湧き水が豊富で、空気が乾燥し・・・
つまり山の上に街を作ったというわけです。

もちろん、現在イタリアを旅行されてご覧になるような街が
いきなり山の上に出現したわけではありません。

最初はとりでが出来ます。
それが次第にお城になり、
お城の住人つまりその町を守る家族が中心に住み、
その他の住民たちもお城の中で生活しました。

そして住民が増えてくるに従い、お城の外に塔を作り、
塔の1階は穀物倉として利用し、塔の上の方に住居を作り、
住居部分へははしご段を使って出入りをしました。

もしも外敵が攻めてきたときはそのはしごを上げてしまえば
外敵は取り付くことが出来ません。
塔の上からは煮えたぎった油や大きな石を投げて
外敵をやっつけることが出来るわけで、
この垂直の塔は画期的な建物で、たくさんの塔が立ち並びました。

当初はただ垂直だった塔も、やがてスカートをはくようになります。
塔の下のほうを少し広げることにより、上から落とした石が砕け散って
より多くの敵に当たるようにという工夫です。

余談ですが、イタリアで塔を見かけたらスカートをはいているのは
まっすぐな塔より少し新しいのだなと考えていただけます。

やがてそういう塔と塔をつなぎ合わせて城壁ができていったのです。

昔の人たちの生活の場はすべてこの城壁の中でした。
ごく一部の商人を除けば、他の街へ行き来する人はいなかったので、
おのずとその町ならではの言葉になっていったのでしょう。

いまや、テレビで標準語を聞くことが出来ますが、
日本に比べると若者たちが好んで方言を使っているように思います。

学校では教科書に載っている標準語を教えているのですが、
生徒たちはだからこそ逆に方言をかっこいいと捕らえているように
見受けられます。

ファミリー、そして広い意味でのファミリー
すなわち地元の団結の意識が強いので、
方言で話をすることで、よりその団結観が盛り上がるのでしょう。

われわれ外国人には少しながら厄介です。
ある土地でイタリア語を勉強しても他の街へ行くと
全く判らなくなってしまうからです。

大げさに気こけるかもしれませんが、
実際みんなが体験していることです。

一例:イタリア語 Andiamo アンディアーモ (行きましょう)
    ローマ弁 Annamo アンナーモ
    セーニ弁 Imo   イーモ
    ナポリ弁 Iamme  イァンメ

 

もちろんこちらが外国人、もしくは他の街から来た人間であると
わかったときにはなるべく標準語で話すようにはしてくれますが、
彼ら同士で話しているときは皆目判りません。

実際うちのPaoloの父親はローマの人、母親がいま住んでいる
小さな町の人で、ローマとこの町とは約60kmの距離ですが、
母親とPaoloがこの町の方言で話をすると
父親は全くわからなかったということです。

 

テレビのインタビューなどでも、サルデニアやシチリア、
または北部のアルトアディジェの方たちが話をすると
字幕スーパーが出るほどなのです!

                Keiko       歴史Top

 

丸い塔
四角い塔(Firenze)

スカートをはいた塔