イタリアからボンジョルノ! 2008年 

N.0 2  カラバッジョ=二人目のミケランジェロ


皆様よくご存知のミケランジェロは 

ミケランジェロ・ブォナローティ。
今日ご紹介するのは、ミケランジェロ・メリージ。

ミラノ近郊のカラヴァッジョ村の出身なので、カラヴァッジョという名で知られています。
さきの日曜と月曜の二晩、こちらの国営放送でこのカラヴァッジョの生涯が放映されました。
ほぼ伝記どおりの内容でした。
以前からご紹介したかった画家ですが、延び延びになっていました。
伝記を見た印象がさめないうちにご紹介します。
といいながら1週間たってしまいましたが・・・

カラヴァッジョという名にピンと来ない方でもこれらの絵をご覧になったことはあるのではないでしょうか?

 

バッコ 「病める少年バッカス」 果物カゴ 静物画「果物かご」

 

リュートを奏でる少年  「リュートを奏でる若者」  エマオの晩餐 「エマオの晩餐」

 

聖マッテオ  「聖マッテオの召命」

 

あまり美術に関心がなかった私も、日本でこれらの絵は見たように思います。
それがこちらに住むようになり、カラヴァッジョの作品を目の当たりにして
いっきにその魅力に引き込まれました。

私はどちらかというと、絵画より彫刻のほうが好きです。
それは単純に分かりやすいからです。
もちろん近代の作品には分かりづらいものも多いですが・・・

今日、このメルマガのタイトルをあえて二人目のミケランジェロとしたのは、
どちらも巨匠ながら、絵画に関してまったくっ違った考え方を持っていたからです。

かのミケランジェロは、より精神的に描いたのに比べ、
カラヴァッジョはあくまで写実的に描いています。

ミケランジェロがロレンツォ・マニーフィコを描いた時に、
ちっとも本人と似ていないという声に対して
「100年も経てば、誰も本人の顔を覚えていない。」と返答したそうです。(笑)

つまり、実物よりもその本人の持つ感性や、地位や、品格や・・・
そういうものを表したかったのでしょう。

ところがカラヴァッジョはあくまで実際に見えないものは書かないという人でした。
イメージで描くのではなく、いつもモデルを見て描きました。
死人を描く時には、実際に死体を使って描いたようです。
果物が虫を食っていたり、葉がしおれていたり・・・全て真実です。

当時、キリスト教が支配していた世の中では、絵の注文主も教会や、
高僧たちが多かったので、画家たちは彼らの気に入るように
聖人たちをあくまで気高く描いていたのでした。

でも、カラヴァッジョいわく、聖人とて生きていたときにはごく普通の人間であったはずだ。
彼らは善良な農夫であり、漁師であり、大工であったのではないか。
だとしたら、汚れたい服をまとい、手も脚も労働で汚れていたはずだ。

そして何より、それまでの聖人像に必ず書き込まれていた頭上の輪光を描きませんでした。

理由は簡単、「見たことがないものは描けない」

でも、法王庁が、全ての絵画は公開する前に審査を受けなければならないという条例を作ったために、
その後はやむなく書き加えています。

 

また彼の作品は光と影が強調されています。
完璧な写実主義なのに、たんに写実的だというだけで終わっていないのは
まさしくこの光の使い方によるのでしょう。

光と影は、たんに光と影を表す以上に、精神の陽と陰であったり、
強い一筋の光は神の声であったりもするのです。

そういう意味で、ミケランジェロとは違った観点でありながら、
作中の人物の精神性や存在感をとても大切に描いていると思えます。

上にご紹介した作品はごく一部。
作品に関する解説などは、きっと専門の方々がたくさん紹介されていると思うので省きますが、
興味のある方はぜひ、美術書などでご覧になってください。

私は彼の作品と同じくらい、彼の生涯にも興味を持っています。

父親が宮廷に使えていたので、子供の頃は裕福に育ったようで
ローマにでて父親の遺産を食い潰した後、しばらくは辛酸をなめながらも、
絵を売ったお金が入ると放蕩三昧を繰り返します。
それは後に枢機卿の庇護を受け宮殿に住まいするようになってもおさまりませんでした。

また、青年時代にマルタ騎士団の騎士にもらった刀をいつも携えていて、
刃傷事件を何度か起こします。

それまでの画家達は、とくに教皇の肖像画を描くほどの高位の画家達は
貴族然と振舞っていたようですが、
カラヴァッジョは貧しかった時代の友達と生涯縁が切れなかったようです。

何かにいつも怯えていたのは、幼くして父親を亡くしたからでしょうか?
あるいは、その当時のキリスト教の支配のあり方が独断的で、偏っていたからでしょうか?
何度か、罪もない人が処刑されるのを目の当たりにし、苦悶したようです。

そして、ある女性の名誉を守るためについに決闘をし、
相手が死んでしまったときには 絞首刑を逃れるべくローマをあとにします。

コロンナ家の庇護のもとマルタ島に渡り、そこで描いた絵によって
彼の才能がマルタ騎士団でも認められ、教皇から騎士になることを認可されます。

ただここでも問題を起こし、シチリアへさらにはナポリへと逃れます。
こうしている間もコロンナ家をはじめ多くの枢機卿たちが彼の罷免を教皇に嘆願し続けます。

決して品行のよくなかったカラヴァッジョをたくさんの人たちがいつも保護したのは
やはり人並みはずれた天才だったということと、
うそをつけない怯えた少年のイメージがそうさせたのかもしれません。

やっと教皇に罷免されたとき、ローマに帰るべく船に乗り、
ローマの北160キロのエルコレ港にたどり着いたものの、
かねてより患っていたマラリア病で、熱にうなされながら浜辺をさまよい
人知れず なくなったということです。

時に1610年7月18日、享年38歳。
あまりに短い生涯でした。

でもその短い生涯に実に多くの作品を残していると思います。
一般に作品は少なかったといいますが、私には一つ一つの作品がとても印象的なので、
内容が密なので、多くの作品のように思えるのです。

もちろん、もっと長生きしてくれていたらどんなにか素晴らしい作品を残していたかと思うと残念でなりません。
もしもローマに帰還していたら、かのジァン・ロレンツォ・ベルニーニとも交友を持ったかもしれません。
そうしたらお互いが刺激しあって、もっと素晴らしいものが生まれていたかもしれないのです。

ちなみに日本の美術書ではカラバッジョをバロックのくくりに入れていますが、
カラバッジョはカラバッジョ派の画家であって、ほかのどんなジャンルにも属さないと思います。
そしてバロックは、まさにジャン・ロレンツォ・ベルニーニが築き上げたスタイルなのです。

カラバッジョの作品はローマの以下の場所でご覧になることができます。

ヴァティカン美術館絵画館、ボルゲーゼ美術館、
カピトリーノ博物館絵画館、ドーリア・パンフィーリ宮殿、古代絵画館、
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
サン・タゴオスティーノ教会、カプッチーニ教会(骸骨寺)

特に教会は列をつ来ることなく拝観できるので、お勧めです。

最後に、あえてより好きな作品をあげるとすれば、
amore 「愛は全てに勝利する」

maddalenapenitente   「後悔するマッダレーナのマリア」です。

 

 

22/02/08 Keiko


庭便り・花便り

なんといっても今期のニューフェースはクリスマスローズです。

helleborus2 

人気のある花で、興味はありながらこのあたりでは見かけることがなく
これまで所有できませんでした。
通信販売でちっちゃななえを10株購入し、1つはほどなく根ぐされでダメにしてしまったのですが、
あとの株は小さいながらも花をつけたり、葉っぱが伸びてきたりしています。

3年ほどして株が充実するとたくさんの花が見られるということなので気長に付き合ってまいります。

 

 

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