ジョヴァンニ・パオロ2世の死に寄せて

 

復活祭から1週間後、おそらくは20世紀を代表する法王様(教皇)となられた
ジョヴァンニ・パオロ2世が亡くなられました。
26年という長い在位期間だったので、私がここイタリアに住み始めてから知った最初の法王様。
息子にとっても生まれて以来、法王様とはジョバンニパオロ2世のことでした。

正直に言って、カトリックの信者ではないわたしには
法王様の死が、ご近所の顔見知りだった方の死より深い悲しみをもたらすものではありません。
でも、その死をこれほどまでに悼む信者の方々の気持ちを思うと胸が痛みます。

日本でも、亡くなられた直後から葬儀の様子までが衛星中継されたようなので、
ご覧になった方も多いと思いますが、何十時間もかけてローマにたどり着き、
さらに最高10時間ほども道で行列を作り亡き骸を一目見ようと立ち尽くす人たち。

葬儀の日にもサン・ピエトロ広場には到底入りきれないので、ローマの各地に設置された
超大型のスクリーンで葬儀の模様を見つめ続ける人たち。

富裕とはいいかねるポーランドからなけなしのお金をはたいて駆けつけた人たち。

何が彼らをこんなにも駆り立てるのか、改めて世界中の多くのカトリックの信者が
教会を法王という存在をこんなにも心のよりどころにしているのだと思い知らされた出来事でした。

偉そうに法王様の実績を語ったり、評価したりあるいは批判したりなど思いもよらないことですが、
わたしなりの感想をあえて述べさせていただくとすれば、
世界の隅々までお出かけになって、実際に手を差し伸べられたこと、信者の方たちに
じかに声をかけられたことは日本の戦後に天皇陛下が巡幸なさった図と重なって見えてきます。

総本山に御参りすることなどできようもない人たちがそのお姿を間近にしたとき、
どんなにか喜ばしい、ありがたいことだったでしょう。

病の前後に、あるいは晩年ご老体に鞭打って、できうる限り出かけていかれました。
その行程は地球を30数週もする距離に及ぶのだそうです。

でも、福者や聖人を毎週のように誕生させたり、Paolo6世が勇断によって70名弱にまで
枢機卿を減らしたにもかかわらず、今現在180名の枢機卿が居られるということです。

中世やルネッサンスの頃には、法王様の権限がとても強く、
親類縁者を年端も行かない子供までみな枢機卿にしてしまった方も居られるそうです。

また、枢機卿になったときにはたくさんのお礼を法王庁に収めなければならなかったということで
法王庁は財政に行き詰ると枢機卿を誕生させたといわれます。

もちろん現代はいろんな監視の目がありますから
法王様が私服を肥やすことなどできない仕組みだと思いますし、決してそのような方だとは思いませんが、
せっかく落とした贅肉を再び身に着けてしまったような感じがしていささか残念です。

とにもかくにも、ローマにとっては前代未聞の大きな出来事でした。
土曜日の夜に亡くなられてから、金曜日の葬儀が終わるまで、イタリア中が喪に服し、
テレビやラジオは全て法王様に関する番組ばかり。

あるラジオに視聴者が月曜日の朝、電話をかけて、
「もちろん法王様の死は重要なことだけど、毎日どのメディアもそのことばかりでもうたくさん!」
と話していました。
そのお声からは中年の奥様らしい感じがしました。

そしてこれも正直な声なのだなと少しほっとしました。
テレビ・ラジオは視聴率に貢献があると分かるとそればかり、
これでもかと、お涙ちょうだい風に煽り立てるきらいがあります。

もうひとつ驚いたことは、ほとんどのポーランド人がイタリア語を話すということです。
テレビのインタビューに答えた人たちの2/3はイタリア語を流暢に操っていました。

ジョヴァンニ・パオロ2世が始めて法王様になってご挨拶をなさったときに、
「イタリア語を間違ったときにはその間違いを直してくださいね。」とおっしゃって、
いっきにイタリア人の人気を得たエピソードがあります。
きっとそのとき以来、一般のポーランド人も勉強を始めたのではないでしょうか?(笑)

 

最後に、今回のこのような大きな出来事を支えたのが
ボランティアの人たちであったことを付け加えさせていただきましょう。

イタリアにはProtezione civile という組織があって、「市民を守る会」と訳しましょうか。
災害地などで、救援活動を繰り広げ自衛隊とよく似たことをするのですが、
仕事ではなく、みんなふだんはそれぞれの仕事を持っていて、
必要なときに介護や救援活動をしています。

今回も、公の警察官や消防隊員や医師達の後ろにいて
暑い昼間にはミネラルウォーターを道行く人に配り、
寒い夜には毛布や温かい飲み物などを提供し、何よりも重要なインフォメーションを流して、
必要な人たちにこまやかに暖かい手を差し伸べていたのです。

何百万人という人たちが数日の間に集まり散っていく、
もちろん今回集まった方たちは敬虔な信者の方たちなのだから
平穏にいって当たり前かもしれないけれど、
大勢人が集まれば、何がしかの事故が起こることもあるものですが、
何事もなく、本当に何も起こらずにことが済んだのは彼らの力に負うところが大きいと思います。

 

18日からはコンクラーヴェという新しい法王選出の選挙が始まります。
次なる偉大な指導者を生み出すべく、枢機卿達による選挙がシスティーナ礼拝堂で繰り広げられます。

                   Keiko

 

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