あまり楽しい話題ではありませんが、人間の生活には必ず出てくる事柄ですからお話します。
ローマから今の田舎に引っ越して来て、初めて葬儀に出くわしたときには感動を覚えました。
妙な言い方ですが、これが一番近いと思います。
その日、ローマから仕事を終えて帰宅途中に、
前方から人が道路の真ん中を歩いてきて、こちらによけろと合図をします。
なんだろうと道路わきに車を止めてみると、すでに私の前にも何台かの車が止まっていました。
そうするうちに前方から人の群れがやってきます。
彼等の前には一台の車が・・・それは霊柩車でした。
霊柩車はゆっくりゆっくりとすすみます。
そのうしろをたくさんの親戚や友人達が徒歩で続いているのです。
ですから霊柩車のすすむ速度は人が歩く速度です。
私の前方に止まっている車の運転手さんは運転席で十字を切っています。
みんなその列が行き過ぎるまで、車を止めたままじっと待っているのです。
亡くなった方への礼を尽くすために全く知らない人たちも立ち止まり、しばし黙祷を捧げます。
小さな田舎町ではこうしてたくさんの人が死者を墓地までお供します。
すでに教会で葬儀は終わっているのですが、親しい人たちは墓地まで行きます。
あの時の感動はとても新鮮なものでした。
おそらく日本でも昔はこういうふうに葬儀はすすんだことでしょう。
こちらでもローマのような大きな街ではこうは行きません。
墓地まで数台の車が連なっていくだけです。
そういう車の列に誰も気をとめることはありません。。。。
Keiko
Pompeiの続きを書かなくてはと思っているのですが・・・
少し怠けています。
そういえばポンペイの時代にはすでに火葬をしていたのですよ。
それがキリスト教が広まるにつれて、キリスト様が布に包まれて土葬されたので
信者たちも同じように葬ってもらいたいと、土葬になったのです。
最近はこちらでも火葬を希望する人が出てきましたが、約2000年の間こちらでは土葬だったのです。
時代の流れから行けば逆のようなのに面白いですね。