イタリアからボンジョルノ! 2005年 No.1  <元旦>

 

イタリア人には元旦はさしたる意味がないように見えます。

彼らにとって大切なのは新しい年になるその瞬間と、そこへたどり着くまでの行程。
つまり、大晦日の夜、着飾ってどこかのホテルのパーティーに出かけたり、
レストランを予約して結婚式のときのような豪勢な盛りだくさんの本年最後の夕食をとることや、
年が変わる瞬間に居合わせた人たちとキスの交換をしたり、そのあと何時間も踊り続けたり・・・

元旦は単に大晦日の延長線上の午前0時からの数時間に意味があり、
1月1日そのものはお昼ごろにおきだして、他の休日と変わらぬ一日を過ごすのです。

知人の中にはその日、大型のゴムボートでPonzaという
ローマに一番近い島へ毎年必ず行くのだと言う人もいれば、
馬を駆って山越えをし、やはりSabaudiaという浜辺まで行って、
思い切りギャロップするのだという人もいます。

でもそういうのはごくひと握りの人たちで、他の多くはせいぜいローマの
サン・ピエトロ寺院へ行ってまだ見ていなかったプレセーペを見るとか
映画に行くとかで一日の午後は終わってしまいます。

なんといっても次の日が日曜でない限り、仕事に戻らなければならないのですから。
なんと今年は2日が日曜日ですね! (今まで気がつかなかった。)

われわれ日本人のように初日の出を仰いだり、
初詣に行ったり、晴れ着を着てそぞろ歩くというような感覚はありません。

大切なのはあくまでも大晦日。

大晦日に豪華な夕食のほかにみんなが楽しみにしているのは花火です。
われわれ日本人には花火は夏の夜の風物詩としてのイメージが強いですが、
そしてもちろんこちらでも夏祭りに盛大に花火が上がりますが、
それは各市が主催する花火大会。

ところが大晦日にはみんなが花火をあげるのです。
アパートのベランダからヴィッラの裏庭から花火が上がります、というか降ってきます。

最近ではまるで本職の人があげるような大きな花火を打ち上げる人もいて、
少々危ないのが現状です。
実際、毎年けが人やひどいときには死者まで出る始末です。

いつから、またどうしてこういうことが習慣になったのかは知りません。
イタリア人たちに聞くと、過ぎ去ろうとしている年にあったいやなことを払拭するため、
あるいは新年を明るく景気よく迎えたいからといいます。
きっと答えはその通りなのでしょう。

30日の国営放送の夜のニュースでは、インド洋での海底地震による被害者を思って
今年は花火を控えるようにと呼びかけていましたが、
いったい幾人の人がその趣旨に応じたことか・・・

 

ところで、我が家の大晦日はいつもとは違う日本風の大晦日でした。
主人が30日から周遊に出かけたので、息子と二人っきりの大晦日。

これまで毎年イタリア風に、友人や義妹たちを呼んだり、
ホテルへ夕食に行ったりしてきましたが、やっと息子に
日本人らしい大晦日を味合わせることができました。
そのために今年は日本から御節も取り寄せました。

若い彼がどこまで本当に日本風の大晦日を楽しんでくれたかは疑問ですが、
花火をあげなかったからつまらなかった?と聞いたら「ぜんぜん」、という答え
見た目にはそれなりに楽しんでくれたようです。

きっと御節が効を奏したのだと思います。胃袋は完全に日本人ですから。
なます以外はお煮しめも田作りも喜んで食べていたし、
松茸の歯ざわりを理解してくれて私も満足です。

 

2005年。
今年こそは明るい年にしたいですね。
楽しみは待っていてもやってきません。
自分たちでつくりださなければ!

私もできるだけ陽気なイタリア人たちのことをご紹介して参ります。
できるだけ楽しいイタリアのお祭りをお伝えします。
そしてできるだけ明るいイタリアの町をご案内します。

Keiko  2005年元旦

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