-L'Aquila-というまち

 

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アパートに住んでいた頃はしょっちゅう週末を外で過ごしたものだが、
庭のある家に来て、大きな犬を2匹も抱えているとついつい外出することがおっくうになる。

彼らは車が嫌いで酔ってしまうので、連れて行くことはないが、
一日中ほったらかしにしておくのも気がひけていけない。

又、アパート暮らしのように息が詰まることがなくなったせいでもあるだろうが、
花をいじったり、庭で食事をしたりして週に一度の休みなどあっという間に吹っ飛んでしまう。

でも、時々はドライブがてらおいしいものを食べに行く。

今回、Paoloが選んだところはL'AQUILA。(ラークイラ)

アブルッツォという州の州都で、アペニン山脈のふもとに位置し、
新田次郎氏の小説にも確か出てきた「グラン・サッソ」のある町。
盆地なので夏でも冬でもイタリア国内の最低気温を記録する。

すでに桃や桜が咲いているというのにグラン・サッソはまだ頂に雪を残していた。

なぜ、Paoloがこの町を見たかったかというと、
かつてイタリアが貧しかった時代に、このあたりからたくさんの移民が
アメリカへと旅立っていった。

イタリア人は国内ではわがままだが、外国へ行くととてもがんばる。

そこで、アメリカで成功してかつての両親や祖父母の故郷を尋ねたいと
イタリアへやってくる人が多い。
あのマドンナの親戚もここアブルッツォの出身で、かつてお世話をしたことがある。

そのアブルッツォの州都を知らないようではいけないという仕事熱心な面から、
又、自宅からあまり遠くないというふたつの理由から選んだのだった。

 

我が家からは約140km、高速道路を使って1時間20分ほどの距離。
(こちらの高速道路の制限速度は130kmなので念のため。)

11時半頃にうちを出るとちょうどお昼時に着くことになる。
(こちらの昼食は1時か2時ごろ始まる、夏になるほど遅く又南へ行くほど遅くなる。)

グラン・サッソへスキーに行ったことはあるが、L'Aquilaの町へは足を踏み入れたことがなかった。
平穏でこじんまりとしたいい町だと聞いていたのでとても楽しみ。

我が家からまず高速道路「A1」(ミラノ〜ナポリ)の高速に乗り、
ローマへ入る手前で大きく右へカーブして
「A24,26」(ローマ〜ラークイラ、ペスカーラ)線へはいる。

つまり我が家はローマの少し南に位置するので、
ローマの手前で大きく東へとっていくことになる。

「A1」がイタリアを南北につなぐ大動脈、
「A24,26」は、東西を結ぶ主要な道路だ。

さて、曇り空だったせいかたいした混雑もなくL'Aquilaに到着。

最近は町の中へ車を乗り入れられない街が増えている。
住民以外は町の外の駐車場へ車を置いて、てくてく歩くしか方法がない。

Paoloの車はタクシーの許可があるのでたいていのところへ入っていける。
でも、制限を設けているということは道が極めて狭いということなので、
制限なしに越したことはない。

ここL'Aquilaは、3月21日現在まだ制限はなかった。
もちろん駐車してよい場所は厳重に決められている。

そこで、最初に見つけた駐車可のところに車を置いて町の散策に降り立った。

日曜日、お店は全部お休み。

開いているのはわずかに花屋さんと、ケーキ屋さん、
何割かの立ち飲み喫茶「BAR」だけ。

99.9%がカトリックの国では、日曜日はお休みして
きれいな洋服を着て家族そろって教会へ行くのが伝統的な日曜の過ごし方。

ただ、ミサの後に友達のうちで昼食を共にしたり、
おじいちゃんおばあちゃんに孫を見せに行ったりするので、
手土産にする花とパスタレッラ (ケーキやシュークリームなど)
又はチョコレートなどを扱うお店は開いているというわけ。

車を止めたところは日曜だというのに門を閉ざしたままの古い教会、
[S.Pietro in Coppito」ロマネスコの可愛い教会だ。

目指すはこのまちのドゥオーモ。(それぞれの町で一番重要な教会。)

途中、サンピエトリーノの工事現場を見たので写真に収めておいた。
ここは歩道なので一回り小さいサイズが使われている。

サンピエトリーノとは、かのジャン・ロレンツォ・ベルニーニが
ローマのサン・ピエトロ教会前の広場を改造したときに用いた舗装の仕方。

いわゆる石畳と呼ばれているのがこのサンピエトリーノ。
写真でお分かりのように、石は立方体。
(ミラノ、フィレンツェあたりがもっと表面積が大きな石が使われている。)

薄っぺらなアスファルト舗装とは比べ物にならないくらい分厚い舗装だ。
だからこそ、何百年もその姿をとどめているのだろう。

この石の厚みが歴史の厚みだといっていいと思う。
2千年以上も前のアッピア街道の石ですらわずかながら残っているのだから。

又、このサンピエトリーノで横断用の白線を描いている。
これならいくら車が通っても白線が消えることはない。

 

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さて、ドゥオーモにたどり着いた。
ごらんのように日曜だというのに、町一番の教会前の広場には数えるほどしか人がいない。
なぜなら、すでにお昼の食事時間に入っているから。

ミサが終わって教会から出てきた人達もそそくさと散らばっていく。

ドゥオーモは期待はずれだった。(単なる観光客の目から見て)
バランスの取れない建築であるばかりか、何度も地震にあい、
現在の正面は1928年に改築なったというもの。

隣の教会はまだミサをなさっていたのでお邪魔せずにおいた。

そろそろおなかがすいてきたので、どこかおいしそうなレストランなり、
トラットリーアなりを探しながら元来た道を戻っていった。

車を止めたときに、Paoloが目ざとく一軒のトラットリーアがすぐそばにあることを
頭に入れていたので、結局そこで昼食をとることにした。

われわれの鼻はこういうときよく働いてくれる。
知らない町の知らないレストランでもあまり外れたことはない。
たいていおいしくてあまり高くないか、とってもおいしくてちょっと高いかのどちらか。

高くてまずいところにはほとんど出会わない。

今日のところも、おばあちゃんとお母さんとまだ中学2,3年くらいのお嬢さんが
やっている家庭的なトラットリーア。

きっとお父さんかおじいさんが調理場を手伝っているんだろうと思う。
おばあさんは前掛けをしたまま注文を取りに来る。

お母さんとお嬢さんはウエイトレス専門だ。
小さい弟がなじみのお客さんの席で一緒に食べているのもほほえましい。

作り置きをしないで毎日新鮮な材料で作るイタリア料理の食堂は
結構待たされるけれど、その甲斐がある。

すぐに持ってきてくれるパンと飲み物で空腹をしのいで辛抱強く待つことだ。
あるいはサラミやオイル付けの野菜の盛り合わせといった前菜をとって待つもの良い。

Paoloと私はトルテッリーニ・アル・ラグー(ボロニェーゼ)、
陽介はラザーニア・アッラ・サルビア・エ・ブーロ(バターとサルビアで和えたもの)。

ラグーがしゃばしゃばで家庭的。
どちらもこのうちで作ったパスタを使用。

セコンドにはPaoloと私はチーズを赤キャベツで巻いてフライパンで調理したもの。
陽介は、羊の肉を1cmくらいのさいころにしたのを串にさして焼いたもの。
どちらも絶品!

さらに付け合せの野菜としてポテトフライ(きり方が不ぞろいな、つまり冷凍ものではない)と、
わたしはチコーリアという緑野菜を炒めたものをとった。

デザートはPaoloがTiramisù、陽介はCrem caramel(プリン)。
私はダイエットのため我慢。

最後のコーヒーもおいしかった。
多くの場合食堂ではコーヒーを飲まない。
なぜなら、コーヒーは朝から何百杯も作っていて、カップも器械もいつも熱々の
状態を保っているところのがおいしいから。

食堂ではまず器械が本格的でないところが多い。
しかもそこで食べた人達だけに出す分量では圧倒的に少ない。
(器械がコーヒーになじんでいない。)
餅屋は餅屋で、料理はうまくてもコーヒーの入れ方をわきまえているとは限らない。

以上のようなわけで、たいてい食堂を出て、ちかくのBARでコーヒーを飲む。

でも、すぐちかくにBARがないときや、疲れていて歩きたくないときや、
先にいたお客さんが飲んでいて、とってもいい香りがするときなどは
そこの食堂で飲んでみる。

今日のは70点くらい。食堂としては悪くないけれど、Paoloいわく少し焦げすぎとのこと。

とにかく以上の品々を平らげて、有名なアブルッツォの赤ワインとコーラとお水を取って、
料金は60エウロ。(8000円くらい?)
5エウロのチップを置いて出てきた。

今日も、われわれの鼻がうまく働いた日だった。

 

食堂から出てもほとんど道行く人はいない。
ローマの一昔かふた昔前のようだとPaoloが言う。

つまり、よき市民すなわち良きキリスト教徒は、日曜日に教会のミサへ行き、
家族や友達とおしゃべりしながら2時間3時間かけて昼食をとり、
やっと夕暮れが近づく頃又町へ出て、しまっている店のショーウインドウを眺めたり、
広場で人々と挨拶を交わしたり、寒かろうが暑かろうがジェラートをほおばるのである。


そろそろ我々も帰途に着こうと、車を走らせて程なくすばらしい教会が目にはいった。

Santa Maria Collemaggioという古い教会で、
192代目の法王チェレスティーノ5世のお墓のあるところ。

法王でありながら、後に続くボニファッチョ8世の連日に及ぶ脅しに耐え切れず
法王庁から逃げ出して、罪人扱いを受け、不遇の死を遂げた方。

今や聖年祭というカトリックの大きな行事も
ボニファッチョ8世が制定したことになっているけれど、
実はこの、チェレスティーノ5世の考案だったということで、
この教会の側面には聖年の年(25年に一度)にだけ開く扉がある。

正面はごらんのとおり穏やかなピンク色の石で覆われ、
たくさんの柱もよき時代の教会にふさわしいデコレーションが施されている。

ここは又、市民の憩いの場所でもあるようだ。
ごらんのように若者たちがボールを蹴飛ばし、家族連れが犬を散歩に連れてきている。

我々はもう帰るけれど、近くに住む市民たちは、
きっと暗くなるまでここでここで過ごすことだろう。

教会の裏手にはかつてのままの修道院がある。
勉強家のPaoloの後をついて行ったら速いテンポの音楽が聞こえた。

興味に誘われるまま階段を上がると、
なんと13世紀の修道院の2階でファッションショーのリハーサルが行われていた。


           <Keiko>

 

*:今回、あまり写真の軽量化をせずに掲載しました。
  もし、最大化にあまりにも時間がかかるようならお知らせください。

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