タイトル史的な話

                       <<<イタリアの中世>>>

今日は小笠原さんという読者の方からいただいたご質問に
答えた手紙をそのまま掲載します。
もちろんご本人のご了解を得ておりますし、
おそらくは何人かの方が質問したかったことではなかろうかと思い
こういう形をとらせていただきました。

いただいたご質問は、

(小話の紹介文の中で)
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「なんと中世には笑うことを禁止されていたというのですから驚きです。」

メルマガ楽しく、読ませて貰っております。
中世に笑いが禁止されていた
もう少し、詳しくお教え願いたいのです。
宜しく、お願いします。

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さて、ご質問に関してなのですが、
手っ取り早く理解するには、
「Il nome della rosa」という本をお読みになるか、
映画にもなったのでヴィデオをご覧になるといいと思います。


西ローマ帝国が滅んだ後、
政権を握ったのは事実上教会でした。

ただ、さしたる産業もなく一部の大地主=貴族を除いては
聖職者だけがなんとかまともな生活をしていましたが、
一般の人々は生きる意欲をなくすほどの
貧困にあえいでいたわけです。

決してキリスト教を批判するのではありませんが、
教会組織に関しては、はなはだ疑問に思っております。



キリストの教えの中に、
「裕福な人が天国の門をくぐるのはらくだが針の穴を通るより難しい。」
というのがあり、
それをうまく利用して、余分な富は教会へ蓄積せよと教えたので、
正直者や、裕福な階級の人たちは地獄へ落ちるのが怖いので、
教会へ多額の寄付をしたのです。

いまだに、遺言状を開けてみると「すべてを教会へ寄付する。」
という文面を見ることがあるほどです。
 

メディチ家の台頭を見るまで、
中産階級やブルジョワは存在しなかったのですから、
そういう階層がないということは
彼らと商いをできる人々もいなかったわけで、
ごく一握りの裕福な人たちと、あとは地を這うような生活を
余儀なくされた人たちだけだったというのが
ヨーロッパの中世なのです。

大多数のそんな人々を黙らせておくために、
教会はこれが普通の生活だと教え込んでいたのです。


繁栄していたローマ時代には、
女性の詩人もたくさんいたというのに
外国語を操る人々もたくさんいたというのに
中世以降、一般の人々はみんな文盲になってしまいました。

統治する側にとっては願ってもない現象です。
彼らが無知でいる間は安楽だったわけです。
(念のため、私は共産主義者ではありません。)

「Il nome della rosa」では、ある修道院で読むことを禁じられていた、
あるいは存在すら隠されていたギリシャ時代の文献を何人かの修道士が読み、
それらを読んだ修道士がみな殺害されるという筋書きなのですが、
なぜギリシャ時代の文献を読むと殺害されてしまうのか?

ギリシャ時代に、人類謳歌の文化は最高潮に達していたのです。
今、世界各地の美術館でご覧になるすばらしいブロンズ像、
そのブロンズ像をまねたローマ時代の大理石彫刻を見れば
彼らの文明度が計り知れようかというものです。

でも、中世の人々がそれを知ることは許されなかった。
人間の生活が、かくもおおらかで晴れがましい、
明るく幸福に満ちたものであるということを知ってはならないのでした。

天国へ行くためには、厳しい生活に堪える必要がある。
この苦難を乗り越えてこそ天国へいけるのだ。と教えたのです。



「笑うかどには福来る。」
日本では古代から一貫してこのように言われてきましたが、
ここヨーロッパの中世は笑うことは禁止されていました。
(日本でも、神道に比べ仏教は後からはいってきて、
時の統治者に都合の良い彼岸の教えを説いておりますが・・・)


笑いは悪魔の仕業。
笑っていては天国へいけないのだと教えられていたのです。

そこで、古い文献、
笑うことが良いことだと書かれたものや、
読んでいて楽しい文献はひた隠しにされ、
それを読んだものが殺されてしまったのです。

Certosaと呼ばれるベネディクト派の最も厳しいおきての元に生活した
修道士達は人と話すことすら禁じられていたということです。

彼らに許されていただた一言、それは
「兄弟たちよやがて死ぬことを忘れるな。」だったということです。

すこーし、こちらの中世の様子が見えてきましたでしょうか?
まことにおぞましい限りですが、こういう背景を知ってこそ
ルネッサンスの意義を再確認できるというものです。

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今回、このご質問をいただいてとてもうれしく思います。

ただ上っ面のイタリアではなく、
いろんな角度で本当のイタリアをお伝えしたい私にとって
こういう歴史を説明できるチャンスをいただいたこと、うれしく思います。

今回の説明文を又「めるまが」でも紹介しようと思います。
お便りいただいたのは小笠原さんだけでしたが、
きっと他にも?という方がいらしたに違いありませんから。

又お便りください。
                 



              以上です。
                        <管理人:恵子>  歴史Top