タイトル史的な話


王の階段 Scala leggiaScala leggia

 


 
現在、われわれが目にするローマは、ミケランジェロがその基礎を築き、
ベルニーニが装飾を手がけたと言っていいでしょう。

つまり、栄光のローマ時代の町が長い中世に見るも無残に半ば破壊されていたのを、
ミケランジェロの斬新な発想と、緻密な計算で、カプット・ムンディ(世界の首都)の名に恥じない
素晴らしい都市へと変容したところに、バロックの生みの親、
ベルニーニが、必要不可欠なデコレーションを施していったのです。

両者の仕事はあまりにも価値が高く、量も多いので、一気に語ることは不可能です。
その都度、出あった所だけをお伝えしていくしかないと思っています。

 

8月初旬に、久々にヴァティカン美術館へ行ってきました。
かつては毎日のように出入りしていたところですが、
仕事をやめてからはもう何年も足を踏み入れたことがありません。

息子とともに、夏の午後、人が少ないのを当て込んでいってきました。
3月から10月の間は午後も開いているのに、なぜか人は朝一番に入りたがるようです。

朝は夏場でも数キロの列ができていることがあります。
でも、午後に行けばだいたい待つことなく入れます。

ピナコテーカと呼ばれる絵画館は、残念ながら(正直それほど残念ではありませんが)
半分は閉鎖されており、初期のキリスト教絵画から
ルネッサンスの初めの方までの期間の絵は見られませんでした。

でも、ラファエッロ以降の絵は全部見ることができました。

この絵画館には、中世の宗教画から18世紀までの絵画が年代順に並んでいるので、
絵画の全体的な流れを見るのに最適です。

大好きなカラヴァッジョの作品もひとつありますし、
ローマには数少ないダ・ヴィンチの小さな作品もあります。

そして、愛するベルニーニの自画像もあるのです。
ベルニーニはとても多彩な方で、彫刻・建築にたくさんの作品を残していますが、
自分の楽しみに少しだけ自画像を描いています。

絵も悪くないのですが、仕事として描くにはあまりに多忙で時間がなかったようです。
彫刻以外にも大きなお祭りの演出や仕掛け舞台の装置作りというようなことまで手がけています。

ベルニーニに関しては石鍋真澄氏の「ベルニーニ・バロック美術の巨匠」
を読まれると好いかと思います。

 

さて、ヴァティカン美術館を一通り見学して、システィーナ礼拝堂のあと、
出口ではなく、サン・ピエトロ寺院へぬけようとそちらの方へ降りていきました。

システィーナ礼拝堂というのはそもそも教皇の個人的な礼拝堂だったわけで、
私室とも極めて近いのです。

そこで、システィーナをでたところの階段は教皇も上り下りされるところ、
でも、半分からあとは別のほうへと出口が設けられておりました。

それが昨今、教会側の混雑を避けるために、教皇の宮殿の正式な玄関である
Scala reggia(スカーラ・レッジャ)=「王の階段」を下りて教会へと向かうようになっていたのです。

これまではその階段の反対側から数段のところまでしか、一般の人は入れませんでした。
有名なスイスの傭兵が出入り口を固めているのです。

ミケランジェロがデザインした斬新なユニホームに身を包んだ傭兵そのものの写真を撮りに
多くの観光客がかつて、その数段の階段を上ったものでした。

いまや写真は固くお断りとなっているようですが、
逆に、教皇の宮殿から出て教会へ向かうという順路になっています。

これが恒久的なことなのか、ほかの通路ができるまでの暫定的なことなのかは誰も知りませんが、
何年もローマに住み、何度となくすぐそばを通りながら、かつて一度も歩くことができなった、
あの、ベルニーニによる「王の階段」を歩くことができて、天にも上るような気持ちでした。

 

もともとは暗くて狭い階段を、今のように美しく立派な階段に仕上げたベルニーニ。
そのベルニーニ自身がもっとも困難な仕事だったと語ったというこの階段。

人間の視覚、時として欺きやすいこの視覚を旨く利用した傑作。

普段、当たり前のように何百年前、あるいは千数百年前の道路や橋を渡り、
そういう建物に何気なく出入りしていると、ありがたみを感じなくなってしまうのですが、
これまで遠くに見ていた 「王の階段」 を通ってみて、
改めてローマの懐の深さを、かつての巨人達の技を感じ、危うく涙がこぼれそうになりました。

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