アルフレードとその自転車

 

夫Paolo(パオロ)はバイクや自転車が大好き。
私はごく普通の自転車には乗っていたけど、サイクリング車なんてさわったこともなかった。

付き合っていたころはいつも車だったけど、同居を始めるとすぐに私用のマウンテンバイクを
大の仲良しで、自転車を手作りしているAlfredo(アルフレード)のところへ注文しに行った。

このAlfredoがまたなんともいえない人で、大学では法律を勉強していたのに中退してしまい、
自転車を作り始める。

日本のSimanoやSuginoのパーツを使い、ローマではいち早くマウンテンバイクを手がけた。
まだ、自転車の主流はあくまでも細いタイヤのサイクリング車だったころだ。
AlfredoとPaoloがマウンテンバイクで街を走ると興味を持った人々が集まってきたというほど。

それ以外にも個性的な自転車をいくつか作り、
あの世界的に有名な宝飾店ブルガリのオーナーも彼の自転車の愛好家となった。
こんなにいいお客さんがいればさぞかし商いは繁盛しただろうと思われるだろうが、
そこがAlfredoの変わったところ。

彼は朝起きられない人なのだ。
午後になって目が覚め、店を開けるのは日差しが傾きそうになるころ。

しかも何かに夢中になるとそのことばかりに時間も気持ちも占領されてしまい、
自転車の注文をした人たちを何ヶ月も待たせてしまったりして、
心底彼にほれ込んだ人でないとつきあっていられない。

それ以外のお客さんたちは次第に遠ざかっていってしまう。
だからいつも貧乏なAlfredo。
でも、いつもしたいことをしていて幸せいっぱいの人である。

イタリアにはその昔、Mecenateという人たちがいて
才能のある芸術家の生活の面倒を見たり、制作のために手を貸していた。

自転車作りの才能があり、学者肌でくせのあるAlfredoにもそんな友達がいて
特に中のいい一人は裕福な弁護士さんなので、夏場は数ある別荘のひとつを
Alfredoの一家 (彼には奥さんとかわいい女の子が一人いる。)
に貸してあげるから、彼らはプライベートの砂浜のある家で夏を過ごす。

なんにでもほれ込むと一生懸命勉強し、とことん追及する性格なので、
そのあたりを面白がる友人は大砲のような天体望遠鏡を
Alfredoに提供し、Alfredoは土星なんかを観測して喜んでいる。

一番新しい、そして長く続いているAlfredoの楽しみは空を飛ぶこと。
自分の作った飛行機でローマ郊外の空を悠然と飛んでいる。

彼の仕事場へ行くと自転車の上のほうに飛行機のモーターがぶら下がっている。

 

そのAlfredoが作ってくれた私の自転車は・・・

前がアルミの骨組みの
Paoloの自転車。

水のみ場の後ろが
ブルーと黄色の
かわいい私の自転車です。

骨組みも日本の「丹下」という製品。

 

何にもわからない私に、腕の長さや腰の高さなどから割り出したサイズの私専用の自転車。
前が3段、後ろは6段の切り替えがあり、私はいつまでたっても
レバーをどちらにまわせばいいのかわからなかった。

それでも、ずいぶんいろんなところへ出かけていった。
上の写真はローマの真ん中。
チルコマッシモというところに程近い水飲み場。

余談ながらローマには今でも2000年前に造られた水道橋や文字通りの水道があり、
近隣の山々からミネラルウォターが途切れることなく流れ込んでいる。
町の随所に写真のような水飲み場があり、暑い夏には本当にオアシスになる。

不慣れな私に、Paoloは前になったり後ろへ行ったりしながら道路の横断を助けてくれたり、
時々こうして休んだりしながら励まし、次第に遠出をするようになる。

ローマ時代、とっても繁栄していたOstia(オスティア)という港町があった。
水深が浅くなり次第に使われなくなった後、伝染病のために街は廃墟になってしまった。
すばらしいモザイクや、町全体の区画、建物の基礎部分が泥に埋もれて残っていたので、
今では、南のポンペイと並ぶ重要な考古学の宝庫として公開されているところ。

そのOstiaまで片道20kmほどのところを一番良くサイクリングした。
時には片道50kmくらいのところまで出かけていった。
自転車をこぐとかなり体力を消耗するようで、行った先々でおいしいワインや
料理に舌鼓を打ったものだ。
自転車をこぐとヒップアップになると聞いてはやめられない。
でも、どんどん増加する車に怖い思いをすることもしばしば。

一時期、ローマの港Fiumicino(フィゥミチーノ:・国際空港もここにある)
から一番近い島Ponza(ポンツァ)へ双頭船が夏場だけ就航していたことがあって、
われわれは家から自転車に乗り、港についてそのまま自転車ごとPonzaへ行ったことがある。

Ponzaについてからも迎えを呼んだりタクシーの世話になることもなく、
常宿まで自転車で乗りつけた。
泳ぎに行くにも至極便利だった。

Ponzaは小さな島で、ほとんどの海岸線が切り立っているので
船でしかたどり着けないところも多い。
車で移動しても、降りてから海まで歩くしかないのだ。
ところが自転車ならずいぶん近くまで行くことができた。

水着姿で自転車に乗れるのも小さな島だからこそ。
でも、ある日かなりスピードが出ていたときに後ろからクラクションを鳴らされて
びっくり仰天した私は思い切りブレーキをかけてしまった。
そしてちょうどその場所に大きな穴が開いていたのだ。
その穴に突っ込んで転倒してしまい、一時は気を失いかけたのだけれど、
近くに住んでいる人がすぐに駆け寄ってきてブランディーを飲ませてくれた。

かなり前を走っていたPaoloはそういうことは全く知らずにはしっていた。
そこへ少しばかり責任を感じた例のクラクションを鳴らした車が駆けつけ
「あなたの奥さんが腕を折った!」と告げたものだから真っ青になって飛んできた。

左半身をアスファルトにこすり付けてしまったので、
ひりひりするけれどそんなに重症ではないと見たPaoloはすぐに自転車に乗るように進めた。
そうしないと怖くなって二度と自転車に乗れなくなってしまうことがあるそうなのだ。
知らないところで頼るはPaoloのみなのだからいうことを聞かないわけにはいかない。

予定通り海辺にたどり着き、海水浴をしたのが良かったのだと思う、塩水で消毒ができたみたい。
その夜はひりひりと痛んだけれど、そして左のひじには今も傷跡が残っているけれど、
そのあとの滞在には支障なくまた自転車でローマへと帰ってきたのだった。

               Keiko

 

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