物を大切にするイタリア人


すっきり春になりきらない不順な天候が続いていますが皆様お元気でしょうか。

今日は、いかにイタリア人が古いもの、

あるいは思い出のあるものを大切にするかということを身近な例をあげてご紹介します。

まず、これらの写真は産着です。

新生児の肌に直接着せるシャツです。

ですから実物は身頃がハンカチくらいの大きさでしょうか。

昔の日本の産着は前開きですが、こちらのは背中に紐がついています。

寝た時にごろごろしないかなぁとも思いましたが、とにかく細い紐です。

こういうものを昔は赤ちゃんの誕生を待つ間に、妊婦はもとより

その母親やおばさんたちが手作りしたのです。

このあたりの始末の仕方にも愛情がこもっているでしょう?

全て手縫いです。

これらはうちの主人が生まれる時に母親やおばたちが作ってくれたものです。

それを私の息子にも着せました。

そして、主人のかなり年下の従姉弟が初めての子を設けた時にお祝いの品と一緒にほとんどを譲りました。

我が家には思い出として数枚だけ残しておいたのです。

息子の子どもには・・・さて着せるのでしょうか、どうでしょうか。。。。

 

もうひとつ、やはり子ども用品なのですが、こちらはもっと歴史が古いです。

これは歩行器です。

主人の大叔父さんは指物師というのでしょうか、家具を作る人だったのですが、 

生まれてくる甥の為にこんな素敵な歩行器を手作りしたのです。

その甥とは主人のおじさんです。

つまりこの歩行器はすでに 叔父・主人・息子と3世代の子どもが使っています。

ゆうに70年以上前のものなのです。

でも、ご覧のように継ぎ目にも何のひずみもなく、車の付いているところのデザインも素敵ですね。

長い間雨ざらしになっていたので少し痛んでいますが、今でも立派に用を成す代物です。

息子には、中にいすがついていて、食事用のお膳もくっついた最新式の物も買いましたが、

何度かこの歩行器も使いました。

木のぬくもりはプラスチックでは到底代用できません。

ニスを塗りなおしてきちんと保存することにしましょう。

 

さて、今日お伝えしたかったことは、いいものには永遠の命が宿っているということ。

だからこそ古くても人の心をひきつけるのだと思います。

そしてそれらを大切にする人たちは、それらのものを通して、

それらにまつわる思い出を大切にしている人たちだと思うのです。

最近、イタリアも使い捨て文化が幅を利かせてきたように思います。

そうなればいい仕事をする人もいなくなるでしょうし、

思い出も薄っぺらなものになってしまいそうで、心配です。

まだ私たちが暮らしているこのあたりでは、我が家のような思い出の品を持つ人たちがたくさんいます。

 

あるいはまた、主人の友達のおとうさんが亡くなったあとに家を整理したところ、

台所の観音開きの食器棚に入りきらないくらいずらっと空き瓶が並んでしたそうです。

主にジャムを入れるタイプの空き瓶を、きれいに洗って大きさ順に並べてあったそうです。

昔はこういうものも貴重だったでしょう。

我が家にもいくつかは常に置いてあります。

でも毎回蜂蜜の入ったガラスびんが空くたびにきれいにラベルをはがしている主人には申し訳ないのですが、

もう戸棚に入りきらないので、最近は捨てています。(笑)

                    Keiko


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