とっておきのお友達
久しぶりの配信なので、今日はとっておきのお友達の話をしましょう。 この話を読まれたらイタリア人に対する印象が少なからず変わるのではないかと思います。 デリケートな部分があるので今日はすべて仮名を使わせていただきます。 そう、日本人の名前を使うことにしましょう。
雅夫さんは、利発な奥さんと中のいい兄弟たちに囲まれて、 ところが奥さんが長女を生んだときに先ず大きな課題を課せられました。 生まれたお嬢さんは、脳に少しの障害があり、詳しくは判りませんが、 つまり、お嬢さんは、正常な脳を持つ盲目の女性として生きるか、 こんな悲しい決断をせまられた雅夫さん。 きっと、少しの知恵遅れなら家族の介添えがあれば生きていける、 家族がまとまって暮らすイタリアではそれはあまり難しいことではないと私も思います。 実際に大きくなられた娘さんに出会って、その明るさに父親の選択が間違っていなかったと思いました。
ただ、雅夫さんへの試練はそれだけではなかったのです。 娘さんを育てるのに無二な協力者、奥さんががんに侵されてしまったのです。 当時のイタリアではそのがんの治療は難しい、フランスにいい病院があると医師から聴かされた 幸い手術はうまくいったのですが、15年間何事もなく過ぎれば安心できるという医師の言葉に 雅夫さんとは仕事で知り合いました。 とっても穏やかな人で、どうかすると明るすぎたり女性に優しすぎるナポリのガイドさんが多い中で、 冗談を言いながら、ナポリの歴史やポンペイの遺跡のことを詳しく教えてくれました。 当然、家族のそういう出来事は私などには話してくれませんでした。 ある日、彼の弟さんと一緒に仕事をしたときのこと。昼食時に私をパーティーに誘ってくれたのです。 どういうパーティーかというと、ナポリ湾に大きな船を浮かべて船上で夕食を取り、 つまり、その身を削られるような思いの15年が過ぎようとしているのです。 1も2もなく快諾しましたが、レストランの中で、流れる涙を抑えることはできませんでした。 こんなすばらしい話を聞いたことはありません。 そして、本当にわがことのようにうれしかったのです。 ローマからは、そして日本人で招待されたのは私だけでした。
大きな船の上にテーブルがたくさん並び、着飾ったイタリア人が大勢集まり、 お嬢さんも奥さんも元気に顔を揃え、二人の男兄弟とその家族たち、
それまで気がつかなかったのです。 われわれは彼のそばでワインやリモンチェッロに舌鼓を打っていたのです。 たまに、どうして雅夫さんは食べないの?と聞く人がいると もちろんそれも正解でしょうが、知らない人がワインを注いだりするのを避けるために、
すばらしいパーティーでした。 ナポリ民謡も内容がわかるとかなしい歌が結構多いのです。 その二人が「知床旅情」を歌ったとき、2番は私が歌わされました。
私は大切な友人の奥様に、母の形見の羽織を贈りました。 私にも着るチャンスはありませんでした。 雅夫さんの奥さんが果たしてどういう風にあの羽織を扱っておられるかは知りません。
仕事をやめてすでに7年、雅夫さんにあわなくなって7年、 Keiko
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