<世界一幸せな夫アダモ>



 
「アダモ(=アダム)は世界一幸せな夫だ。なぜかというと、お姑さんが居なかったから。」

イタリア各地の観光地などで売られている絵皿に、ちょっと癖のあるこんな文章を見かけます。

日本ならさしずめ
「エヴァ(イヴのこと)は世界一幸せな妻だね。だってお姑さんが居なかったんだから。」
となるでしょう。


つまり、イタリアではどちらかというと男性が相手の家族のほうに仲間入りするのです。

もちろん結婚の形態はさまざまですから、どうぞ、大まかな意見としてお聞きください。


ほとんどの日本の結婚形態としては、お嫁に行く、夫の家族と同居する、
又は同居せずとも夫の家族との付き合いのほうが断然深いと思うのですがどうでしょうか。



もともと結婚後も名前の変わらないイタリアでは、婿養子という感覚は全くありません。
そんな言葉も存在しません。

家の問題や、仕事の都合やそういったことでたまたま妻の実家に住まいする。
それだけのことなのです。

ちなみに子供たちは父親の姓を受け継ぎます。

大体こちらの主婦が働きに出るようになったのは
ごく最近のことですし、今でも日本とは比較にならないくらい少ないと思います。

つまり、一日中一緒にいるのなら母娘のほうが
嫁と姑が一緒にいるより何事もうまく運ぶではないか。という感覚です。

でも、夫にしてみればやはりお姑さんはいないほうが
気が楽なわけで、冒頭にあるような言い回しが聞かれるのです。

こういう話になったとき、なぜかお姑さんばかりが引き合いに出され
お舅さんは全く無害のように何も言われないのはどうしてでしょうか?

これは日本でも共通することのように思われますがいかがでしょう?

私も将来姑になるわけで、すでにときどき主人から
「陽介のお嫁さんは可哀想だ。」と皮肉られる始末です。

でも、男女が対等の意識が強いこちらでは、こうして妻の圏内に住む人たちは
週末になると夫側の両親のところへ食事に行ったり、孫を見せに行きます。

まだまだ、家族が近くに住んでいる人たちが大半で
日本のように盆暮れしか会わない、会えないわけではなく、
しょっちゅう家族が集まります。

兄弟の絆も強く、結婚後も行き来が頻繁で、子供たちは
叔父、伯母のことを 「Zii」 (ツィイ、又はヅィイと発音)
と呼び、まるで自分の親のようにあるいは兄弟のようになついています。

ファミリア (ファミリー)の絆、いまだ強しのイタリアです。

               <<<管理人:恵子>>>

 

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